夢に溶けた日
最近、謂わゆる夢が無くなった。
正確に言えば、夢の中に溶けこむこと
一体化することに喜びを覚え始めた。
夢とは、私にとって予感や直感、
また哲学であり、文化で社会だ。
それは排泄にも似たプロセスによって
日々の瞬間の連続によって成される。
大事なことはその形や結果よりも
その結果に至るまでの随意運動だ。
随意運動とは、動物の意思を持った
行動であり本能とも言える。
それによって私は、この宇宙や地球
人類の歴史の中に自分が在る安心感と
勇気が湧いてくる。生きようと思える。
これまで死と直面してその反骨心で生きてやる!
と言う、一部強烈なエネルギーを発することに
喜びを覚えていたが最近は、生きることをただ選び
その小さな爆発が連なった後に大炎になるのでは
ないかという仮説が浮かんだから、
それを実行してみようと思う。
常に今に焦点を絞り、それを淡々とやる。
呼吸し、鼓動する。一定のリズムを刻む。
一々ノイズに反応していては純度の低い
エネルギーを消耗するばかりか純度の高い
作品は生まれないことに気づいた。
徹底的に己に焦点を当て、彫刻していく。
そうすると逆に目には見えない小さな何かが
波紋の如く拡がりを魅せ縦横無尽に駆け巡る
そんな気がするんだ。