Azumi's world

すいへいせんのひとりごと○△□

生きる美学

10代の頃、

生きることに何の意味があるのかよく踠いた。

いや、つい最近まで踠いてたかもしれない。


そんな今は、

生きることに意味があるんじゃなくて

生きることに喜びを見出すのが

人生の醍醐味なのかなと思う。


弱みを見せ合える関係や、強く在ろうと切磋琢磨

できる関係、何より自分と違う美学を持ち、

互いの世界を拡張し合える関係性を結べた時、

素直に嬉しいし大切にしようと思う。


そしてそれは、自分以外の全ての人が

持ち合わせている可能性があることを

忘れてはならないのだとも。


正義を振りかざすことほど虚しいことは無い。

けれど、己の信念を貫くことに臆してはならない。


これらは表裏一体で一見わかりにくいが

根底の差は、孤独の克服にあるの

かもしれないとふと思う。


孤独の克服とは、

克己心や自立とも言えるが、

私は多面的に自分を創造することだとも思う。


10代の頃、陥ってたのはまさにソレで

「自分らしさ」というものに異常に固執してた

気がする。そして結果的に、無残に破綻した。


どこか無意識に常識や社会に相対的に自分を

擦り合わせて繕った"自分らしさ"というものは、

知らず知らずに視野を狭め自分とは違う価値観を

否定し、或いはそんな自分をも否定し、未だ見ぬ

可能性を潰すことになり兼ねない。何より脆い。


自分を自分の意思で多面的に扱うことは

自分を自分たらしめることにおいて、また

他者と生きることにおいて、とても需要で

最も自然に近い形だと思う。


多面的とは八方美人ということではなく

主体的に変化に対応する力だと言いたい。


最近よく耳にする多様性も、他者に承認を求めるのではなく、自分が臨機応変に変化変容していくことこそが、本来あるべき姿だと思う。


予定調和は好きじゃない。

けど、誰かを傷つけたい訳じゃない。


ただ、自分が変化することを恐れず進む。

それが例え、誰かの傷を抉ったとしても。


愛されることについて学んだここ2、3年。

次は自分が愛せるように、力をつける時。

力は、傷つけるより守る為に使いたい。

けど、守ってばかりじゃ前に進めない。


大切なものを見失わないように、

本間に失ってしまう前にその都度学び

自分を、相手を受け入れながら進む。


失敗なき人生は無意味だと思うが、

成功したからといって意味があるとは

限らない、成功の定義もわからない。


けど、人生においての喜びを分かち合って

死ねるのは幸せだと思う。愛するという

感覚をこの身体と心に真に刻み込みたい。


この世界に僅かでも優しさを残して死にたい。

出逢う人々に優しさを宿して生きたい。


人を想い生きる時、己の存在を感じる。

それが人間が本来持つ美しさだと思うから。

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